【クルマ初モノ図鑑⑤】ボディー&シャシーPart1~スライドドア、サンルーフ他

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クルマの中でもっとも目にしているのに、注目度が低い部位がボディやシャシー、およびその周囲にある外板機能ではないでしょうか。ぶつからないクルマ、低燃費でハイパワーを発揮するパワートレーンなど、クルマは歩みを止めることなく進化し続けています。そしてボディやシャシーは単にデザインを形作るだけでなく、クルマの剛性や安全性、静粛性、軽量化など多くのことに寄与しています。

今回はとくに国産車の黎明期から日本のモータリゼーションの幕開けと呼ばれる1960年代までのボディやその周囲にある機能の進化を見ていきましょう。

■トヨペットクラウン(1955年) -トヨタが自力で作った国産量産乗用車の嚆矢

日本の自動車メーカーは戦前から営業していた会社が多くあります。日本初の乗用車は日産の前身である快進社が製造。他にも1916年に矢野特殊自動車が製造したアロー号(現存する日本最古の乗用車。国産乗用車としては4番目に古いモデル)などがありますが、“量産”という意味では’55年にトヨタが発売した初代クラウンが国産乗用車の嚆矢(こうし)と言われています。

日野ルノーなど、戦後の日本の自動車メーカーは欧米メーカーと技術提携を結んでノックダウン生産を行っていました。そんな中、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)は海外メーカーと提携せずに自前で乗用車を製造することを表明します。『トヨタ自動車75年史』によると、「ジャーナリズムの評価は、トヨタ自工を時流に乗り遅れた田舎会社とする向きがあった半面、外国技術の導入に走る企業への批判的な見方も存在するなど、国産乗用車の行方が各方面の関心を集めた」とあります。

トヨタは’52年から乗用車の開発に着手。’53年5月1日の組織変更において技術部内に主査室が設置され、中村健也氏が車両開発主査となります。そして’53年6月に第一次試作の1号車が完成しました。

’55年1月8日、初代トヨペットクラウンが発売。ボディサイズは小型車枠いっぱいで、後部座席のドアが観音開きになっているのが特徴です。乗車定員は6人でした。1453ccのトヨタR型エンジンは最高出力48psを発生し、約1.2tある車体を最高速度100km/hまで加速させました。

 

■スバル360(1958年) -日本初のモノコックボディ構造

現在の乗用車は、一部のクロカン4WDなどを除き、ボディとフレームを一体構造にしてパネルなどでも剛性を高めるモノコック構造が採用されています。モノコック構造の大きなメリットはボディを軽量化できること。そんなモノコック構造を日本で初採用したモデルが、愛らしいルックスで現在でもファンが多いスバル360です。

360ccという非力なエンジンを積み、軽自動車規格という限られた中で軽量化。大人4人が乗れるスペース、そしてボディ剛性を確保するために富士重工業のエンジニアが選んだのがモノコック構造でした。ここには中島飛行機から続く富士重工業の航空機製造技術が用いられています。

スバル360の開発では、路面が荒れた赤城山の、新坂平全力走行などが行われました。そして全長2.99m、全幅1.3m、全高1.38mという小さなボディで乗り心地の良さを実現するために、スバルはモノコックボディに4輪独立懸架サスペンションを搭載。エンジンはボディ後ろに配置し後輪を駆動させるRR方式を採用し、’58年にデビューしたのです。

 

■日産セドリックバン(1962年) -日本で初めてリアハッチにパワーウインドウを搭載

※写真はセダン

1960年にクラウンのライバルモデルという位置付けでデビューしたセドリック。日産オリジナル設計である高級セダンは、縦目4灯のフロントフェイスが印象的で、日産初となるモノコックボディを採用しています。

’62年には、セダン以外に2列シートで6人乗りのバンと3列シートで8人乗りのワゴンが追加されました。セダンと同様にボディサイドからリアへと流れるテールフィンを残したスタイルが特徴ですが、バンモデルのリアにはもうひとつ大きな特徴がありました。それはリアハッチのガラス部分にパワーウインドウを備えたこと。

ハッチを開ける際はまずリアハッチのガラスを下までおろす。そしてガラスが完全に開いたハッチを下に開けるという構造です。ウインドウが途中までしか下がっていない場合はハッチを開けられません。日産はこの構造により安全性を確保しました。

ちなみに’60年に登場したプリンススカイウェイはガラスが上に、ドアが下に開く上下2段式ハッチを採用。日産はその後もアベニールなどのワゴンモデルにガラスハッチを採用しています。現行型ではミニバンのセレナがリアガラスハッチを採用。ガラス部分のみを開けられるハッチには、省スペースでリアハッチから荷物を取り出せる、ガラス部分しか開けないことで荷崩れを防げるなどのメリットがあります。この装備、歴史あるものなんですね。

 

■ダットサンキャブライト(1964年) -日本で初めてスライドドアを採用

ミニバン、軽自動車、小型車でも今やスライドドアは当たり前。狭い場所でも乗り降りしやすい、駐車場で隣のクルマにドアをぶつける心配がないなどの理由で子育て世代にとってはクルマ選びのマストアイテムといっても過言ではないほど。

そんなスライドドアを日本で初めて採用したのがキャブライト。キャブライトはダットサンブランドから発売されていた小型トラックですが、1964年に登場した3代目のバンモデルにスライドドアが初採用されました。

ボディ剛性の問題などもあり、当時のスライドドアは助手席ドアの後ろのみでしたが、それでも利便性はかなりのものだったはず。その後登場するマツダボンゴ(’66年)、トヨタハイエース(’67年)などのキャブオーバータイプの1BOX車が相次いでスライドドアを採用。スライドドアは広く普及しました。

 

■ホンダN360(1968年) -サンルーフを国産メーカーで初採用

1967年3月に登場したN360はエポックメイキングな軽自動車でした。駆動方式をFFにし、タイヤを可能な限りボディ4隅に配置したことで、3mを切る全長ながら後部座席にも大人が2人余裕で座れる室内空間を確保。そして最高出力31psという当時の軽自動車としてはかなりハイパワーな空冷2気筒エンジンを搭載しました(ちなみに同時期にデビューしたスズキフロンテは25ps、ダイハツフェローは29ps)。さらに’68年にはATモデルもラインナップに加えています。

そして’68年6月には日本初のサンルーフを設定したN360<サンルーフ>を発売しました。このサンルーフ、いわゆるソフトトップで手動式なのですが、開口寸法が710mm×705mmとかなり広く、前席はもちろん後席の頭上まで開放されるものでした。しかも全開/全閉のみではなく任意の位置で固定することができたそうです。当時のプレスリリースを見ると「通風のよさはもちろん、大きなトランク類や長尺のレジャー用具などの出し入 れも簡単」と、荷物の出し入れも便利であると書かれています。おそらく日本初ということで、さまざまな用途を想定していたのでしょうね。

 

(文/高橋 満<ブリッジマン>)

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